17日目

日付変わる前の6月23日
沖縄の県庁、各市町村役場、公立小中学校は休みです。
県内でつくられたカレンダーも赤く休日で印刷

1972年5月15日
1945年6月23日

なんの日か答えられるか否か。


ひとまず12時ちょうどではなかったけれど、
日中、正座し黙祷。
日々に感謝。



毎年この時期に年1度だけ話してることですが
私が小学校の頃、6月は戦争を知る月間として図書館にモザイクなしで、リアルな戦地の写真や資料を展示してました。  本当にリアルなものばかり。


だから普段は図書館に行って本を読みなさい、かりなさいと言う先生たちも………
『見たくない人、気分が悪くなる人は図書館に近づかなくてもいいです。』 と言うほど。
 でもその言葉のあとには
『そうは行っても1度は行って見てきなさい、それで気分悪くなったら保健室で休んでもいいし授業も休んでもいい。だから1度はみてきてほしい。全部じゃなくても一瞬でも見てきたら、もう写真の展示期間が終わるまで図書館にはいかなくてもいいです』
と毎年言われていました。


それくらい衝撃的な内容の写真展が、小学校の図書館で毎年展示されていました。



地元沖縄にいる友人たちも
友人の子供ほとんどが小中学生
今の沖縄の学校はどうなんだろう


私は子供もいなければ、私自身地元にもいないので現状はわかりません。
それでも先の1972年5月15日‥1945年6月23日は何の日か答えられるような現状であって欲しいです。



沖縄県外でも各地で市立図書館や何かの施設のいっかくで無料展示場をしてるのをみかけますが、足を止めてみてる方々は全員とは言わなくとも、ほとんどが年配の方々。やはり万人に自由にとなると、興味のある人、経験ある人とごく一部の人たちの眼にしか入らない気がします。


強制、自由、
教育も環境もそれぞれに賛否あるかと思います

それでも共通してることは
終戦から72年。戦争体験者から直接話を聞ける機会ももうあと何年かと言うことです。

直接話を聞くことが出来る最後の世代として、ささやかながら一人でも何か少しでも伝わりますように!と言うおもいで、年に1度は同じ内容ながらこうして紡いでおります。



戦争体験したおじーおばー世代はもう80~100歳。 日本政府内でありながらアメリカ領土時代に生まれ育ったおとーおかー世代も還暦前後。 


実際、身近な話として
私の実父は中学卒業後出稼ぎで上京した際、パスポートつかって上京したそうな。 実母は、国際通りの車道が右側通行から左側通行になる瞬間をおばーと見に行ったと話を聞いたことあります。



遠い昔の歴史くらいに思っていたのですが、1945~1972年の間に沖縄県で生まれ育った人達のエピソード。  1983年生まれのワタクシ、生まれるほんの11年前のお話。   しかも両親のそれぞれエピソード付で振り返るとえらく身近な歴史に感じました。  



そんな話も出来るのは今、30歳以上の世代なのかなと。 平成も29年。 来年末には屋号が変わるやもと
話も聞こえてますが


変えるべき事は変え
変えちゃいけないのは残し
その塩梅で揺れ

また
忘れたい事忘れるべき事忘れちゃいけない事
記憶も歴史もまた然り


訛りは誇り
その誇りも徐々に薄れつつも
しっかり色濃く残しておきたいこと


沖縄生まれの人間が書く17日目でした。


明日もきっと何か書くはず


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地元にある壁画
あーーーーかえりたーーーーーーーーーーーいっす